私は学習塾の個人経営者です。個人経営なので、全教科の勉強を担当すると同時に、主に受験に対する心構えという意味で生徒たちの「心のケア」もしなければならないのですが、受験生になったばかりの私のある生徒(中3女子)が、いわゆる「うつ」の症状を呈し始めたときのお話です。
個人経営ということで大手学習塾とちがって入塾の条件も厳しくなく、生徒個々の家庭環境なども勘案しながら、学力が著しく低い子たちとなんとか楽しく少しずつ学力を伸ばしていくことを目標とした教室であり、そのためいわゆる「母子家庭」の子どもたちもときおり見られ、その女子生徒もそんな中のひとりでした。
学力については、幼いころにいろいろあった影響(後述)で、初めて教室に来た小学校3年の夏の時点で足し算も引き算もできない、漢字もほとんど書けないというレベルだったのですが、少しずつ努力を重ね、持ち前の明るい性格を発揮してそうした大きなビハインドをどんどん克服してくれた中のひとりでした。
さあいよいよ受験生となり、なんとか受験生としてやっていけるぞというタイミングで、それは起こりました。
とにかくいろいろなことに興味を持ち、明るく元気で、友だちも多い小学生時代、中学生時代を3年生の5月までは過ごして、少なくとも私にはそのように映っており、私のわずかな経験からは、
という典型的なタイプだったのですが、6月に入るとなぜか急に塾を休むことが多くなってしまい、6月の後半はほとんど塾に来ないという状況に陥りました。
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「うつ」発症の背景
その子のお母さんは、少し年の離れた姉(社会人)・兄(高校3年生)とその中学生を女手ひとつで養うという厳しい環境にありながら、外から見る分には一生懸命がんばっていて、とても好ましい印象があったのですが、そのお母さんの話によると、やはり、教室では決して見せることがない「お父さんがいない寂しさ」のようなものを家庭で見せることはあったようです。
もしかしたら、ちょうど父親と同じような年齢である私に、一度も見たことがない父親の像(父親はその生徒が生まれる前に他界)を私に重ねていたのかもしれません。
被害妄想に陥る
2011年3月11日、東日本大震災というたいへんな悲劇が起こりました。
当時40歳の私でさえ、(東京都内の教室での)あの恐怖の体験以来、大きな音や風による振動などにビクビクしながら今なお生活を送っているくらいですから、感受性の強い中学生くらいの子どもたちにとって、それは消えることのない「恐怖の種」となってしまったに違いありません。
彼女も、震災直後にはそれほど変化が見えなかったのですが、しかしその後、毎日のように繰り返される津波被害や原発被害、さらには地震の映像をテレビで目にして、心に大きな傷を負ってしまったようです。
お母さんの話によると(ご自身も後になってわかったことらしいですが)、震災以降徐々に大きな音に敏感になり、お母さんとお兄さん、お姉さんが会話している姿を見ると、自分だけ仲間外れにされているという錯覚(被害妄想)に陥るようになってきたそうです。
学校に行っても、誰かが話をしている姿を見ると、
にとらわれるようになってきたのだと言います。
「うつ」の可能性の検証
その生徒は、塾を休むだけではなく、学校も休みがちになりました。
学校の先生にその事情を話し、受験生ゆえ、内申にかかわるという意味でできるだけ学校を休まないでほしいという見解を受け、はじめて私もその経緯を知るに至ったのです。
実は私は別の件で「うつ」に悩むある女性と何度となく対峙した経験があり、「被害妄想」や「音に対する恐怖」というところから、その女性の「うつ」の症状が彼女の症状とが合致することに気づき、「もしかしたらあいつ(件の生徒)も『うつ』なのでは・・・」と考え、「うつ」に見られる典型的な他の症例と彼女の症状とが合致するかどうかの検証を試みることにしました。
結果、「学校を休んでいる間はずっと寝ている(過睡眠の疑い)」、いわゆる「子ども返り」の症状、さらには「光を嫌がるのに暗闇も怖がる」、やや過度な「倦怠感」といった部分で私の知る「うつ」の症例と合致していることがわかりました。
私は早急に病院で診てもらうことを母親に勧めました。
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お母さんに説明
その段階では「うつ」の可能性をほのめかすようなことはせず、単に
というようなことを言うにとどめたのですが、お母さんが珍しく過敏に反応し、
と、病院に行くということにはなぜか激しく反発していました。
仕方なく私は「うつ」の可能性についてお母さんに説明しなければなりませんでした。
同じように中学時代に「うつ」の診断を受け、今なお治療中である「ある女性」の症例について、できる限りショックを与えない範囲で説明し、彼女が「うつ」である可能性を説明しました。
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病院の診断
幸いお母さんのほうはあまり「うつ」に関する知識が豊富ではなかったため、「最悪の場合、死を招くケースもある」という私のことばを曲解せずに素直に解釈してくれたようで、病院に連れていくことを決心してくれました。私がどれだけほっとしたかは言うまでもありません。
近所の病院の精神神経科でいろいろ検査をした結果、やはり軽度の「うつ」状態であることがわかりました。
ごく軽微な「うつ」であったことから、それほど強くない薬をもらって、気分がふさいでしまうときにだけ服用するように、それからしばらくは定期的に通院するようにとだけ言われたそうです。
病院でそれ以上の話をしてもらえなかったこと、さらには私が口にした「最悪の場合」についてどうしても気になっていたことから、その病院の診断結果を受けたお母さんが再び私のところに相談にきました。
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私の解釈で説明
そこで、私は知人の「ある女性」の症例について少し具体的に説明を加えることにしました。
残念ながら私は医師ではないので、治療法などには言及するわけにはいかなかったのですが、「うつ」が後天的に進行する可能性(環境因子)について、それから、私の知人の女性がどういう精神状態で「死」をとらえていたかということを、あくまでも私の解釈で説明しました。
それから、薬に頼りすぎると「躁状態」を招きかねず、どうやら「躁状態」のときにこそ「死」に向かう行動をとってしまう可能性があることを説明しました。
ただし、このことは絶対に本人には話さないこと、それからできるだけ疲労を蓄積させないこと、そして、「がんばれ」などと絶対に励まさないこと、加えて「できる限り普通に接すること」などを説明しました。
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経過観察~予後
幸いにも、なんとか受験に関しては無事にクリアしてくれて、現在では念願の高校生になって、今なお学校には通っているということです。
ただし、やはり学校を休みがちになってしまっていること、それから、小学校や中学校に比べると、どうしても環境になじめなくなってきていることなど、かなりつらい高校生活を送っているという話を人づてに聞いています。
思うに、だれもが持っている潜在的な「うつ」の因子が、ある刺激(件の生徒の場合は東日本大震災)によって何らかの変異を起こしたかのような、そんな印象を受けました。
いつの日か・・・
先日街でばったり会ったお母さんにちょっと話を向けてみたのですが、薬に関しても、基本的には飲まないでがんばっているということです。
ただ、大人(お母さん)の目から見て、薬を飲まなければ見ているほうが心配になってしまうくらいにふさぎこんでしまったり、あるいは過度の「子ども返り」の状況を呈したりといった際には、何とか薬を飲ませているようです。
思えば、姉弟で唯一「父親を知らない」という状況から、無意識のうちに家族からの疎外感を覚えていて、それが「うつ」の因子として抱え込む発端となっていたのではないかという気がします。
そして、東日本大震災という大惨事によって、あまりにも如実な「死」を体感したことにより過度の不安(ストレス)が募り、「うつ」の因子が表面化してしまった結果が、このような現象として現れたのではないかという気がしてなりません。
卒業以降は顔を合わせていませんが、いつの日か昔の元気だった彼女が戻ってきてくれることを願ってやみません。
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